

何年か前にイギリス人発明家が電池無しで使えるラジオを作ったことがテレビドキュメンタリーで紹介された。普通のラジオを使えるだけのお金とインフラの無いアフリカの貧しい人々を対象としたものだったと記憶している。
Mark Hosking(マーク・ホスキング)の作品には、このラジオに通じる人命救助的な動機がうかがえる。ワイヤーや鉄板がリズミカルな幾何学模様を織りなすそれらの彫刻は、実は食料の生産や炊事のための機械となっている。極貧の地での使用を念頭にデザインされたそれらは、太陽電池やペダルを動力としインフラの無い場所でも機能するよう工夫されている。黄色く塗られたリヤカーのようなスチール製オブジェ「Crop」(1998-2000)は手押しの種撒き機、巨大ペットボトルを積んだ自転車のような「Drought Rider」(2001)はスプリンクラー、直線や円といったアブストラクトな形の部品からなる巨大装置「The Solar Canteen」(2001)はパン等を焼くためのオーブン、という具合にどれも実用的な機能を備えた彫刻なのだ。

Mark Hosking, Crop, 1998-2000
© photo: kuma, 2001
アートと機械が結婚したような作品は彫刻の分野では特に珍しくはなく、1920年代のロシアの構成主義以降多くのモダニスト達に試されてきた。また作品だけに限らず、鉄板や角材など工業用資材が散在するなか工具を手にした人が動き回る彫刻家のアトリエ自体、ちょっとした工場のように見えなくない。しかし、同じような材料や道具を用いながらも、そして出来上がった物が機械のような外観を携えていようと、文化物として創られる彼らの作品は機械っぽい美術品であるのがあたり前だった。
この「機械っぽい」を「機械」にしてしまったこと、そして機械の納品先がギャラリーであるところに私はHoskingの面白さを感じる。本来だったらアフリカの奥地で人命救助のために使われているはずの機械が ― その実用性はハッキリ言ってかなり疑問だが ― 私達鑑賞者の目を楽しませるためにギャラリーに置かれているのだ。考えようによっては不条理とも不謹慎ともとれる行為だが、それならばこの作品を見てフォルムがどうだのと楽しんでいる私達は一体何なのだろう。アートのシステムの一部である鑑賞者の私達は、知らぬ間にデカダンな行為を取ってしまっているのではないのだろうか。なにせこれらの機械は私達の為にここに置かれているのだから。
© 伊東豊子(Toyoko Ito), 2001年4月
Mark
Hosking
010310-010422
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Jerwood Space,
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地下鉄:Southwark (Jubilee Line)
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