ティノ・セーガル解体新書 by
Toyoko Ito
若干27歳にして、アート界に未だ残る常識を数々の非常識で塗りつぶしているティノ・セーガル。美術界からの注目度も上々で、03年のフリーズ・アートフェアではモーリツィオ・カテランのロング・ギャラリーで紹介され、04年のバーゼル・アートフェアでは若手を対象とするバロワーズ賞を受賞。また、この6月から始まるヴェネツィア・ビエンナーレにも参加が決定している。おまけに、いま個展開催中のICAにもだいぶ見込まれた様で、2007年までにあと二度彼の展示が計画されている。ここではそこまで期待を集めているセーガルの表現世界について少し派手に解体してみたいと思う。 |
一階の作品 『Instead
of allowing some things to rise up to your face dancing bruce and dan and other
things』(2000)
展示室の片隅に人がひとり横たわっているだけのこの作品は、2000年に制作されたセーガルの作品第一号。タイトルからするとブルース・ナウマンやダン・グレアムら60〜70年代のパフォーマンス作品に対するコメントと受け止められるようだ。確かに、床にごろりと転がった存在感のある人間の姿は、パフォーマンス映像『Wall
Floor Positions』(68)の中で自らの体をスカルプチャーと見立て様々なポーズを取ったナウマンの姿にどこか通じるものがある(展示の様子は上のレビューを参照のこと)。
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二階の作品 『This
objective of that object』(2004) | こちらはセーガルの最新作で、以下は筆者の体験談。会場に入ると、パフォーマーが右図A,
B, C, Dの位置に鑑賞者(黒丸)に背を向けて立ち、「ハーハー」肩で呼吸をしている。暫くすると、入り口Eに廊下でスタンバイしていた最後のパフォーマーが立ち、鑑賞者はパフォーマー5人にすっぽりと囲まれた形になる。 | | |
荒々しい呼吸が言葉に変わる。全員で「討論の対象となるのが、この作品の目的」と唱和しながら、次第に声が大きくなっていく。すると突然パフォーマーの声が掠れ出し、みな一斉に床に倒れてしまう。1分。2分。3分…。沈黙が続く。彼らの真横に立とうが、展示室の中を歩るき回ろうが、一向に動く様子がない。 沈黙を破るべく、筆者が「居心地が悪い!」と言ってみる。 するとパフォーマーBが、「『居心地が悪い』とコメントが出ました!」と叫びながら飛び上がりモノローグを展開。その後E、C、D、Aと順に『居心地が悪い』をテーマに意見を展開し、最後に『もう他に意見はないですか?』と確認。黙っていると、5人が展示室内を狂ったように飛び跳ねながら展示室の隅に退散。パフォーマーの1人が近寄ってきて次の鑑賞者が来るまでこの作品について一緒に話した。
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解体1:アーティストは舞台監督? セーガルの作品全般に共通しているのが、人を使うこと。現代アート系のパフォーマンスというと、作家が自らの体を媒体として使うというのが60年代以来定着しているが、振付師でもある彼の場合、その役割は監督・演出家に留まり自ら演じることはしない。ちなみに二階でパフォーマンスに参加していた何人かに聞いてみたところ、彼らはみな素人さん。アーティストでも俳優の卵でも何でもないという。年齢層は子供を使っていたフリーズの時とは違って今回は20代〜40代くらいの男女。では、これが演じられている間、作者自身は一体どこにいるのでしょうか?答えは自分の国、ドイツに帰国済みとのこと。 | 解体2:毎回変わるパフォーマンス こちらも同じく二階の参加者から聞いたこと。彼らはパフォーマンスの中でまるで舞台俳優がセリフを読み上げるような語りっぷりで議論を展開していたが、その内容は即興で拵えたものとのことで、セーガルによるシナリオは存在しない。議題は鑑賞者からのコメントによって毎回変わり、今回筆者は「居心地が悪い」などと悪態を吐いてしまったが、その前に訪れた時には、赤ん坊の発した「DA」という音から「ダダイズム」という言葉が生れたという議論が展開されていた。では、もし誰も何も言わなかったら?聞いた話によると、そのまま振り出しに戻るとか。フィードバックがなくてもちゃんと完結するように作られているようだ。 |
解体3:誘ってるの?避けてるの? 今回の二階の展示ほど、現代アートでのお決まり文句“参加”を意識させられた作品はない。まず、パフォーマーの「討論の対象となるのが、この作品の目的」という言葉によって、
“何か言わなければいけないのだろうか”という疑問と焦りが鑑賞者の心に生じ、この段階で既にパフォーマンスに捕まってしまう。あまりにもの息苦しさに退散しようかとも思ったが、退路がパフォーマーEによって巧みに塞がれてしまっている(パフォーマーとの距離がこれだけ近いとシカトして帰るのも悪い気がする)。心の葛藤を押さえ言葉を発してみると、パフォーマーがそれを受け継いでくれて対話が成立。“参加した”という充足感が身体に漲る……。まあこう書くと簡単に参加できるような印象を与えてしまうかもしれないが、ハードルは割と高い。例えば、パフォーマーは鑑賞者にずっと背を向けるているし、顔を見ようとすると逃げてしまう。まるでコミュニケーションを拒むかのようにただ只管逃げまくる。声が討論への参加を促す一方で、動きがこれを拒絶するという相反する要素を持った作品なのだ。 |
解体4:人間だけどスカルプチャー? これは一階の作品に言えることで、セーガルの作品は人を使っていながらも限りなく「スカルプチャー」的に感じられる。パフォーマンスというと、ストーリーが有ろうが無かろうが大抵始まりがあって終わりがあるものだが、この作品の場合、ギャラリーの開館時間中途切れなくずっと“展示”されている(パフォーマーは二人いて4時間で交代するそうだ)。この常設っぽいプレゼンの仕方にホワイト・キューブという場所が加わり、パフォーマンスがより一層オブジェ化して見えてくる。一応動いているので、人間によるキネティックなスカルプチャーとでも呼んでおこう。 | 解体5:究極のミニマリスト? セーガルの特徴のひとつが、一般的に“モノ”と呼べるものを使わないこと。人と、人が発する声や音や動きといった要素以外、展示室にはなにも存在しない。よってパフォーマーが帰ったあと展示室は毎日空っぽになる。実はこの超ミニマルなアプローチによって筆者は以前一度彼の作品を見損なっている。昨年のバーゼル・アートフェアで若手を紹介する「アート・ステートメント」のコーナーを歩いていると、空っぽのブースがひとつあった。気になったものの、「どうせ展示品が間に合わなかったのだろう」くらいにしか思わず素通りしてしまったが、後でセーガルのブースだったと知った。一本取られました。 |
解体6:「モノ」アレルギー セーガルのミニマリストぶりはこの美術用語のもつ意味の範囲を超え、物理的な存在を徹底して拒む「モノ」アレルギー的な姿勢にまで至っている。例えば、パフォーマーたちへの指示。ふつう、参加者の数が増えて内容が複雑になればなるほど書面で指示を伝える方が合理的だと思うが、彼は口頭のみでそれを行う。もちろんこれには振付師たる彼のバックグラウンドが大なり小なり影響していることは確かだが、それとは別に"モノ"に繋がる要素を残したくないという動機もあるようだ。これと同じ理由から彼は作品売買時にも、証明書や領収書などの書類による取引を一切拒んでいるらしい。もちろん画像も例外ではなく、ICAのプレス担当に問い合わせてみたところ案の定、「ティノの作品の性質とイデオロギーに反するため今回はありません」と返事が来た。 |